「サムソンの失敗から学ぶ:聖霊様に満たされるための三つの命令」

小 林 智 彦

【サムソンの後半の生涯】

本日はサムソンの生涯から聖霊様に満たされるための教訓を得たいと思いま す。
サムソンは生まれながらに神に選ばれ、聖霊様に満たされ、士師として活躍し ました。
しかしサムソンは神の豊かな恵みと賜物にもかかわらず、多くの失敗を犯しま した。
サムソンは旧約時代に活躍した人物でありますが、彼の失敗は私たちに教訓を 与えます。

私たちクリスチャンも、恵みにおいてはサムソンに勝る者ではないでしょうか ?
イエス・キリストを信じるだけで罪赦され、神の子とされ、助け主聖霊様が与 えられた!
私たちは、私たちが心から願うならば、聖霊様は何時でも満たし、力を現され るのです。
その聖霊様は働きや、現れにおいてはサムソンと異なりますが、同じ聖霊様で す。
同じ聖霊様が与えられているのにもかかわらず、私たちもサムソンと同じよう な過ちを犯し、神から与えられている使命を完成できずにいるのではないで しょうか?

サムソンの生涯から、どうすれば失敗を避け、主の栄光を現すことが出来るの か?
また聖霊様に満たされるために聖書が命じている三つの命令について学びま しょう。

【神の聖霊を悲しませてはいけません】:エペソ4章30節

新約聖書が教える、聖霊様に満たされるための三つの命令の1番目です。
聖霊様を悲しませてはいけない!とはどういうことを指しているのでしょうか ?

サムソンの例から見てみましょう。「サムソンはガザへ行ったとき、そこでひとりの遊女を見つけ、彼女のところ にはいった。」:士師記16章1節

「その後、サムソンはソレクの谷にいるひとりの女を愛した。彼女の名はデリ ラといった。」 :士師記16章4節

皆さん聖霊なる神はただの力ではありません。人格をもたれた神です。愛に満 ちた方です!
聖霊なる神は私たちのことを心から愛しておられます!
だからこそ、聖霊様は私たちが罪と遊ぶとき、心悲しまれるのです。

サムソンは女性に対して弱かった!性的な誘惑に対して非常に弱かったので す。
女性問題がサムソンの力を奪い、彼の人生に破滅をもたらしたのです。

皆さん、罪は火のようなものです。火は最初、どんなに小さくても放っておい たら、その火はどんどん大きくなり、やがてはあらゆる物を火で焼き尽くして しまうのです。
罪はその様な性質を持っています。 「このぐらい誰でもやっているよ!」
しかし、罪は罪です!罪をそのままにしておくのならば、必ず人生を焼き尽く します。

聖霊様は愛に満ちておられる方です!愛する者が火遊びをすることを悲しまれ ます。
罪と遊び、罪に無感覚になることを悲しまれるのです。

サムソンは遊女と不品行の罪を犯しました。しかし、悔い改めませんでした。
その罪は更に大きくなり、デリラという金のために平気で人を裏切る悪女に騙 されました。聖霊様はどんなにサムソンのことで心を痛め、悲しまれたことで しょうか?

同じように、私たちクリスチャンも罪と遊び、世の価値観と妥協して生きると き、聖霊様を悲しませているのです。その様な状態では私たちは神の栄光を現 すことは出来ません。

如何に多くのクリスチャンが聖霊様ではなく、酒に酔い、世の富を追い求め、 不平や不満に満ち、世の価値観に従って生きているでしょうか? 世の人と全 く代わりません!
聖霊様は悲しんでおられます!恵みを無駄にし、人生を浪費する生き方を悲し まれます。
私たちはどうしたら聖霊様を悲しませる人生を悔い改めることが出来るので しょうか?
どうしたら罪と遊び、罪のもたらす滅びから解放されることが出来るのでしょ うか?

ルイス・S・シェイファーは、罪の告白、告白を伴う悔い改め意外に断ち切る ことは出来ないと言っています。 罪の告白です! 小さい段階でそれを告白 して捨てることです。
LTGグループは、皆さんが罪から解放されることを助けることが出来ます。 ぜひセルの中でも、またLTGグループの中でも互いに罪を告白しましょう。

この世の常識では、罪とは言われなくても、聖書の基準に生きることを目指し ましょう!「そんな小さなこと!」世の価値観はあざ笑ったとしても、聖霊様 は喜ばれるのです。
み言葉を忠実に行うことを願う者、主イエスとともに光の中を歩もうと願う 者、罪のかけらでも喜んでそれを捨て去る者を聖霊様は喜んでくださるのです !
サムソンのように聖霊様を悲しませる人生を歩んではいけません!
聖霊様を喜ばせる人生をひたすら願いましょう! それが神の栄光を現す人生 です。

【御霊を消してはなりません】:第一テサロニケ5章19節

何と恐ろしい言葉でしょうか?「御霊を消してはなりません!」
聖霊様を悲しませ続け、悔い改めの勧めを拒絶し続けるなら、聖霊様はもはや 何も私たちに語りかけなくなります。
「聖霊を消す」とは言語的に見るならば、その輝きを消す、消火する意味にな ります。
聖霊様が消えてしまう時、そのクリスチャンには輝きがなくなります。感動が ありません。
イエス様の愛に無感動になります。神に対する愛が冷え込んできます。

聖霊様を消してしまう原因は何でしょうか? サムソンの例から見てみましょ う。
「そこで、彼女はサムソンに言った。「あなたの心は私を離れているのに、ど うして、あなたは『おまえを愛する。』と言えるのでしょう。あなたはこれで 三回も私をだまして、あなたの強い力がどこにあるのかを教えてくださいませ んでした。」こうして、毎日彼女が同じことを言って、しきりにせがみ、責め 立てたので、彼は死ぬほどつらかった。それで、ついにサムソンは、自分の心 をみな彼女に明かして言った。」:士師記16:15~17

彼は主が自分から去られたことを知らなかった。」:士師記16章20節 (後半)

イエス様は言われました。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできませ ん。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするから です。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできませ ん。」マタイ6章24節

皆さん、聖霊様を愛しながら、世を愛すことは出来ません!
聖霊様に満たされながら、同時に酒に満たされ、世の快楽に満たされることは 出来ません。
世の価値観に生きながら、御国の価値観に生きることは出来ないのです。

サムソンは神への愛よりも遊女への愛を優先し、心をデリラに明け渡してしま いました。
その時、主の霊、聖霊様はサムソンから離れてしまったのです。
皆さん!難しいことは何もありません。性質の違うもの同時に持つことは出来 ません。
神を喜ばせ、世を喜ばせることは決して同時には出来ないのです。
最近、神への愛が冷えてきた。イエス様の愛に感動しない。喜びがない。
皆さん、神への愛よりも世の価値観を愛してはいないでしょうか?
聖霊様以外のものに、心が満たされているのではないでしょうか?

聖霊様に再び満たされ、永遠の価値に生きたいなら、世のものを捨てるべきで す!
聖霊様に満たされ、神の栄光を現す人生を送りたいなら、神の言葉で心を満た し、神の価値観に生きることです。

サムソンのようにデリラを選ぶか神を選ぶか迷ってはいけません!
サムソンが告白しているように、彷徨う心は「死ぬほど辛い」のです。
世の誘惑を振りほどいて、捨て去ってまっすぐに聖霊様の下に走りなさい!
サムソンのように世を愛して、聖霊様を消してはなりません!

【御霊によって歩みなさい】

「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満 足させるようなことはありません。」:ガラテヤ5章16節

皆さん、クリスチャンは世を愛してはなりません。
サタンと悪霊どもは必死になってクリスチャンを誘惑します。偽りのラブ・ コールです。
それはクリスチャンに喜びどころか、苦しみと滅亡をもたらすのみです。

デリラを愛して、聖霊様を退けたサムソンはどの様になったでしょうか?
デリラとハッピーエンドを迎えることが出来たのでしょうか?

「そこで、ペリシテ人は彼をつかまえて、その目をえぐり出し、彼をガザに引 き立てて行って、青銅の足かせをかけて、彼をつないだ。こうしてサムソンは 牢の中で臼をひいていた。」:士師記16章21節

皆さん、聖霊様を退け世の快楽を選ぶクリスチャンは同じ惨めさを味わうので はないでしょうか? 恵みを侮ってはならないのです! サタンはただ滅ぼす ためにやって来ます!

皆さん、しかし神の恵みはどんな時にも私たちを裏切ることはありません。
恵みは行いによりません。私たちの行いによって消えたように思えても、完全 になくなることはないのです。 私たちは暗闇のどん底に置かれても、サタン の足かせで縛られて、 完全にサタンに奴隷にされているようでも、悔い改めの道だけは失われないの です!
私たちは今置かれている状況がどうであれ、主を呼び求める者は救われ、悔い 改めるものには再び聖霊様は臨んでくださるのです!恵みの神を誉めたたえま しょう!
サムソンの髪が再び伸び始めたように、悔い改めるものは聖霊様が再び注がれ るのです!

皆さん決してサムソンのように惨めさを味合わないでください。サムソンの例 で十分です。私たちは肉の欲望を満足させず、世の誘惑を振り払うために、積 極的に聖霊によって歩むべきなのです。

聖霊によって歩むとはどういう生き方でしょうか?
これもサムソンの例から学びましょう。

「サムソンは主に呼ばわって言った。『神、主よ。どうぞ、私を御心に留めて ください。ああ、神よ。どうぞ、この一時でも、私を強めてください。私の二 つの目のために、もう一度ペリシテ人に復讐したいのです。』そして、サムソ ンは、宮をささえている二本の中柱を、一本は右の手に、一本は左の手にかか え、それに寄りかかった。そしてサムソンは、『ペリシテ人といっしょに死の う。』と言って、力をこめて、それを引いた。すると、宮は、その中にいた領 主たちと民全体との上に落ちた。こうしてサムソンが死ぬときに殺した者は、 彼が生きている間に殺した者よりも多かった。」:士師記16章28から30 節

サムソンが「ペリシテ人といっしょに死のう。」と言って、自分を犠牲にして までも神の栄光を現すことを選んだとき、彼は生きている時よりも大きな働き をしました。

聖霊よって歩むとは、日々自分の十字架を背負ってイエスに従う人生のことで す。
キリストの栄光のために自らを十字架につけ、キリストを主として御心に生き ることです。

パウロも薦めています!「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわ れみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け 入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがた の霊的な礼拝です。」ロマ12:1

主は皆さんを通して、考えられないほど大きなみ業を行いたいと願われていま す。
それを阻んでいるのは何時も、私たち自身なのです!自分の肉を十字架につ け、今、聖霊様に自分自身を捧げましょう!