「主の霊が激しく下る時!」
士師記14・15章

小 林 智 彦

本日は皆さんとサムソンの力の秘密について学びましょう。
サムソンは怪力の持ち主でした。その怪力の故に敵であったペリシテ人をやっつけました。彼はライオンを素手で軽々と引き裂き、一時に千人ものペリシテ人を倒しました。
捉えられて太いロープで縛られても、まるで焼け落ちたかのように振りほどきました。
城壁の門を両手で引き抜き、山の上まで担いで登りました。
ペリシテ人の神殿を支える太い支柱を二本、両手に抱えて引き抜き神殿を倒しました。
サムソンは20年間、イスラエルの士師として活躍しました。

サムソンの力は超人的です。どうやってその力を得たのでしょうか?
日々のトレーニング?毎日スポーツジムに通って、プロテインを飲んだのでしょうか?
プロテインだけではなく、アミノ酸もたくさん飲んで鍛えたのでしょうか?

私たちはサムソンの超人的な力に目を留めますが、その力はサムソンのものでしょうか?

「こうして、サムソンは彼の父母とともに、ティムナに下って行き、ティムナのぶどう畑にやって来た。見よ。一頭の若い獅子がほえたけりながら彼に向かって来た。
 このとき、主の霊が激しく彼の上に下って、彼は、まるで子やぎを引き裂くように、それを引き裂いた。彼はその手に何も持っていなかった。」
:士師記14章5・6節

「そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。彼はアシュケロンに下って行って、そこの住民三十人を打ち殺し、彼らからはぎ取って、なぞを明かした者たちにその晴れ着をやり、彼は怒りを燃やして、父の家へ帰った。」:士師記14章19節

「サムソンがレヒに来たとき、ペリシテ人は大声をあげて彼に近づいた。すると、主の霊が激しく彼の上に下り、彼の腕にかかっていた綱は火のついた亜麻糸のようになって、そのなわめが手から解け落ちた。
 サムソンは、生新しいろばのあご骨を見つけ、手を差し伸べて、それを取り、それで千人を打ち殺した。」
:士師記15章14・15節

この三つの聖書箇所は、サムソンが怪力を現したときの記述であります。
三つに共通した表現があるのに気付きましたか?
「このとき、主の霊が激しく彼の上に下って」(14:6)
「そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った」(14:19)
「すると、主の霊が激しく彼の上に下り」(15:14)

サムソンが怪力を現した三つの場面に共通する表現は「主の霊が激しく下り」ですね。
ハレルヤ!皆さん、サムソンの怪力は彼のものではなく、主の霊が与えた力です。
主の霊が激しくサムソンに下られたとき、彼は超人的な力を発揮したのです。
主の霊がサムソンに力を与えました!サムソンではありません!
主の霊!即ち、聖霊なる神様がサムソンに力を与え、サムソンを用いられたのです。

【サムソンから学ぶ教訓は?】

皆さん、サムソンは聖霊様に満たされて偉大な働きをした人物です。
しかし、彼の働きを読むと様々な疑問が出て来るのではないでしょうか?

まず進んで彼は異教徒であるペリシテ人と結婚しました。ユダヤ人は外国人との結婚は許されていませんでした。サムソンは父母をこの件で困らせています。
また敵とは言え、結婚したペリシテ人の妻と家族を苦しめ、困らせています。
それが発端となり、ペリシテ人との争いが始まります。
ペリシテ人をイスラエルから追い出すなら、どんな手段を執っても良いのか?
正しい目的の為なら、手段はどうでも構わないのでしょうか?

またサムソンは性的な誘惑に弱く、進んで遊女と関係を持っていました。
神に用いられる器なら、少しぐらいの罪は犯しても良いのでしょうか?

皆さん!ここはよく注意して聞いて欲しいことです。
サムソンが聖書に登場する人物だからと言って、彼の行動の全てを美化したり、正当化したり、また模範にしてはならないのです!

旧約聖書には聖なる戦い、聖戦があります。ここを引用して自国の戦争を正当化したり、キリスト教以外の宗教を信じる人々を敵視したり、憎むことは全く聖書本来の読み方から間違っているのです。
神はそれぞれの時代において、その時代に合った救いの業をなしておられます。
旧約における神のご計画と、イスラエルの行動を現代に適用することは出来ません。

また神の器と言えども、まいた種は必ず刈り取ることになります。
サムソンも女性問題から躓きが起こりました。その実を刈り取ることになったのです。
旧約の中では最も用いられたモーセもダビデも、罪に対しては責めを負いました。
神に用いられている器だからと言って、罪が大目に見られることは決してないのです。

ではサムソンから、また失敗と過ちの羅列でもある士師から何を学べるのでしょうか?

1.完全な人間は一人もいない。皆、弱さ、欠点を抱えている人間である。


自分にサムソンの力があったらもっとましな働きが出来たのではないか?
皆さん、自分はサムソンよりもましだ!と考えないでください。

皆、弱さ、欠点を持つ罪人に過ぎないのです。
指導者の罪は大目に見られることはありません、しかし私たちはリーダーに完璧さだけを要求してはなりません。いつも裁く目であら探ししないでください。
それよりも、リーダーも牧師も同じ罪人、弱さや誘惑から守られるように祈ってください。

2.神は弱く、欠点があり、何度も同じ過ちを犯すような者でも愛し、用いてくださる。

神は弱く、欠点があり、何度も同じ間違いを犯すような者でも愛して用いられます。
自分の弱さ、自分の失敗ばかりを見つめることは止めましょう!
主は喜んで欠けた器を尊く用いてくださいます。

もしサムソンが自分の力だけで働きをしていたのなら何処に神の栄光が現れるでしょう?神の栄光、神の力は何時も自分の力を超えたところに現されるのです。
ですから、皆さん、自分の弱さを抱えたままで、全てを主に委ねましょう!
また、自分にはとうてい出来ないことを御心を信じて一歩歩み出していきましょう!

3.主の霊が激しく下る時、力を受ける!

サムソンの怪力の秘密は、彼の筋トレの成果ではなく、聖霊様が力を与えられたのです。聖霊様が激しくサムソンに下られ、サムソンに超人的な力を与えられました。
サムソンを通して主は、聖霊様がともに居られるときにどの様な驚くべき働きが可能なのかを見せてくださったのです。聖霊様が如何に力があり、私たちを変えるのか?
主はサムソンを通して、偉大な聖霊なる神様を私たちに教えてくださっているのです。

旧約聖書においては、神が選ばれた特別な人にしか聖霊様は下られませんでした。
そして聖霊様は決して留まり続けることなく、働きの終わりとともに天に帰られました。
ある時はあまりに罪が重いため、聖霊様は働きの途中でも取り去られることもありました。
サウル王は神様に不従順の故に、聖霊様が働きの途中で取り去られました。
ダビデも姦淫の罪を犯した時に、聖霊様を取り去らないでくださいと懇願しています。

これが旧約時代における聖霊様の働きであり、特徴なのです。
聖霊様が人に下られるとき、超人的な働きを可能にし、偉大な神の栄光を現す。
しかし、選ばれた人にのみ聖霊様は下られ、それも一時的であったのです。

【今日における聖霊様の働き】

「『神は言われる。
  終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。
  すると、あなたがたの息子や娘は預言し、
  青年は幻を見、
  老人は夢を見る。
  その日、わたしのしもべにも、はしためにも、
  わたしの霊を注ぐ。
  すると、彼らは預言する。
  また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、
  下は地にしるしを示す。
  それは、血と火と立ち上る煙である。
  主の大いなる輝かしい日が来る前に、
  太陽はやみとなり、月は血に変わる。
  しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』」
:使徒の働き2章17節~21節

今日はイエス様が預言されたとおりに救い主として来られ、罪と死の力を滅ばされました。
キリストの血によって、信じるだけで罪赦され、神の子として認められる恵みの時です。
主は天に帰られ、私たちに世界に福音を伝えることが委ねられた時代です。
神は人類が救われるための全ての業を十字架の上で成し遂げてくださったのです。
神が最後になさる働き、それは再臨とともに新天新地をもたらすことです。
今は、ヨエルが預言しているとおり世の終わりを待つ、終わりの日なのです。

預言者ヨエルが預言したように、終わりの日である今は、全ての人に聖霊様が注がれるのです。全てイエス・キリストを信じる者には、信じたときに聖霊様がすでに注がれているのです!
「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」
:第一コリント6章19・20節

パウロはハッキリとイエス・キリストを救い主として受け入れた者全てのクリスチャンの中に、聖霊様が住んで居られ、クリスチャンは神の宮であると書いています。
皆さんの中に既に、イエス・キリストを受け入れたとき、聖霊様がともに下られたのです。
誰でもキリストを主と告白する者は、聖霊様が皆さんの中に住まわれておられるのです。

自分にはサムソンのような怪力がないのは何故ですか?
聖霊様の現れは人によって異なります。それは聖霊様の賜物です。
しかし、全てのクリスチャンには異なる聖霊の賜物が与えられており、それが発揮されるときは、確かに驚くべき働きを皆さんを通して主はなされるのです。

それでも、自分のクリスチャン・ライフには力がない!その様に思われている方はいませんか?聖霊様に満たされること、聖霊様の力を押しとどめている原因は私たちにあります。

聖霊様は聖霊様を本当に求める者、正しい動機で求める者にしか力を現されません!

「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。」
:ヨハネの福音書16章13・14節

「わたしの栄光」とはイエス・キリストの栄光です。私たち自分の栄光ではありません。聖霊様が私たちを宮として住まわれるのは、私たちが主とお呼びする方の栄光を現すためです。自分が主になっている者に、聖霊様は助けを与えることはありません!

聖霊様は私たちに宗教的な自己満足を与える為に、私たちの中に住まわれているのではありません!イエス・キリストの栄光を現すために私たちの中に住んで居られるのです。

ですから、誰でもキリストの栄光を現すために「聖霊様、どうぞ主の栄光を現すために私を用いてください。」「聖霊様、主を証する人生を歩むために力を与え助けてください。」と主の栄光のために聖霊様を求めるなら、誰でも聖霊様に満たされるのです!
その時、感じても感じなくても、聖霊はあなた方の中に満ちて居られます!
サムソンに聖霊様が激しく下られ、驚くべき働きをされたように、今日でもイエス・キリストの栄光を求めて、聖霊様を求める者には等しく驚くべき働きを聖霊様はなされるのです。聖霊様を求めましょう!イエス・キリストの栄光を現す人生を求めましょう。