「光の中を歩む」
ヤコブ5章16節

小 林 智 彦

「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」:ヤコブ5章16節

先週は「行いのない信仰」は死んでいる!ことを学びました。クリスチャンの行いは頑張りや修行によらず、イエス・キリストとの交わりから生まれることを学びました。イエス・キリストといつもつながっていることが力の源です。そのために必要な三つのことを学びました。

①キリストの十字架と復活を通してキリストに結びつくこと。
②聖霊様に何時もいつも満たされること。
③大宣教命令に生きることでした。

本日は4番目に重要な原則を、ヤコブ5章16節から学びましょう。4番目の原則とは、「光の中を歩む」、「光の中を歩み続ける」ことです!

皆さん!光の中を歩んでいますか?光の中を歩むとはどういうことですか?

「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。」
:第一ヨハネ1章5節から10節

神は光であります!何の暗い部分もない、義と愛の完全な輝きを持ったお方です。光の中を歩むとは、この神とともに歩む人生です。光の中を歩んでいるのなら、私たちは実を結ばない者や、行いのない者にはなりません。なぜなら神との生ける交わりを持っているからです。

人間が創造された目的は、神の栄光を現すためであります!神は人間が神の栄光を現すために、ご自身のイメージ、神の姿に似せて造られたのです。私たちは先週、例えたように電球のような者であります。電球はすでに光を発するように造ってあります。どうしたら電球が輝くのか?電球だけでいくらがんばっても光りません。ただ、電源に差し込むことでした!神の栄光を現すために神が創造された人間は、どうしたら神の栄光を現せるで しょうか?神から離れていては、どんなに頑張っても本来の輝きは出てこないのです。神につながること!神と交わりを持つこと!神とともに光の中を歩むことです!

それではどうしたら、神と光の中を歩み、互いに交わりを持つことが出来るのでしょうか?光の中を歩むには、まず第一に世の光として来られたイエス・キリストを信じることです。

「イエスはまた彼らに語って言われた。『わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。』」
:ヨハネ8章12節

神の栄光を輝かす人生、それは私たちの目的です。神の栄光とは、神の愛、喜び、平安に満たされた人生を生きることです。その始まりは光の源であるイエス様との出会いです。

それでは、光の中を歩み続けるにはどうすればよいのでしょうか?先週学んだ三つの原則に加えて、4つ目の原則は「罪を告白すること」です。

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」:第一ヨハネ1章9節

私たちはクリスチャンになった後でも、残念ながら罪を犯すことがあります。クリスチャンは決して完璧な人という意味ではないのです。ただ赦された罪人なのです。

古い価値観、心の傷、もって生まれた罪の性質、それらが罪を犯させます。これらを自力で取り除くことは出来ません。自分を自分で持ち上げることは出来ません。自分の力で自分を新しく造り替えることは、人間には出来ないのです。ただキリストとの交わりだけが、私たちをきよめ!私たちを新しく造り替えるのです!

光であるキリストとともに歩むなら、心の暗闇がすぐに示されます。それを隠し持ったままでは、いつの間にかキリストの光から闇へと戻ってしま うのです。自分の内にある暗闇の部分が示されたら、告白をもってキリストに心を開くのです!闇の部分、罪を犯す弱い部分をキリストに打ち明け、キリストの光を招き入れるのです!闇は光に勝つことは出来ません!キリストの光はあなたの内面からあなたを輝かせます。

罪をキリストに告白することです!何が罪であるのか?キリストとともに歩むならすぐに分かります。キリストは私たちを責めるために罪を指摘するのではありません!私たちを罪から、暗闇から解放し、更に輝かせるために罪を指摘されるのです。主は私たちを罪からきよめ、解放することが出来るからこそ、私たちの罪を示されます。キリストに罪を告白しましょう!さらけだして、心の中を清めてもらいましょう。それが光の中を歩み続けることなのです!

【罪の告白は癒しをもたらす】

「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」
:ヤコブ5章16節

罪を告白することは癒しをもたらします。精神科医のポール・トゥルニエは、病気の90%は心の問題に原因があると言っています。特に罪責感は私たちの心と肉体に大きなストレスと病をもたらします。犯した罪の重さに多くの人が苦しんでいます。何処に解決があるのか分からないからです。罪の赦しは精神科やカウンセリングでは受けることは出来ないのです。

エディ・レオ先生から聞いた話です。ある女性が何時も不安と思い落胆を抱えていました。両親は心配して有名な精神科医やカウンセラーの治療を受けさせましたが、直りません。彼女の問題は罪責感にあったのです。彼女は幼い頃、妹と二人で海岸で遊んでいました。遊泳禁止の看板があるのが分からず、妹と二人で遊んでいました。やがて高波がやって来て、自分は逃げることが出来たのですが妹は水死してしまった。姉は自分の不注意で妹を殺してしまった。激しい罪責感に襲われるようになりました。カウンセリングのなかで、「それはあなたの責任ではなく、事故なんだ。やむを得ないことだ」と何度言われても、自らも「事故だ!事故だ!」と考えようとしても、心の痛みはぬぐい去ることが出来ず、激しい不安と落胆によって長いこと苦しめられてきたのです。

しかし彼女は癒されたのです!イエス・キリストとの出会いが彼女を癒しました!彼女はある牧師に出会い、今までと同じように自分の経験を話したのです。牧師は精神科医やカウンセラーが言わなかったことを彼女に告げました。「それはあなたの過ちです。あなたに責任があります。それは罪です」と。牧師は続けて言いました。「しかし、あなたの負いきれない罪、その責任をイエス様は十字架の上で、あなたに代わって背負われ、あなたが受けるべき罰を代わって受けられたのです。あなたはイエス様があなたの罪のために死なれたことを信じますか?」

彼女はイエス・キリストに罪を告白し、キリストの十字架を受け入れたとき、長年苦しめられてきた罪責感がなくなったのです!代わりに平安と喜びが心に溢れ出しました。告白によってキリストの赦しを心に受け入れたのです。彼女は赦され、救われました。キリストに罪を告白するとき、私たちは赦しと癒しを受けるのです!

皆さん!罪を犯すとどうなるでしょうか?ばれなければそれで良いのでしょうか?そうではありません!罪を犯して、その罪が人目には分からなくても霊の世界は別です。私たちが何をしているのか、神とみ使い、サタンや悪魔たちの前にも明らかです。罪を犯すなら、必ず私たちの心にサタンが罪の支払いを求めてやってくるのです。罪の支払いが出来ない心を訴えるのです。罪の赦しは血以外に支払いが出来ないのです。

「それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」
:ヘブル9章22節

そんな馬鹿な!と思うかもしれない。しかし、これが真実であるかは皆さんの心が知っているはずです。罪を犯したら、心の中にやってくる罪責感、責める心がどれ程辛いか?誰にも知られていないのに、なぜ心は痛み、苦しめられるのでしょう?サタンです!

罪責感から逃れるにはどうしたらよいのでしょうか?お酒や快楽でも誤魔化せません。罪から罪と更に悪い罪を犯し続けるか、それとも罪の代価を払う以外にはないのです。盗んだり、嘘ついたりしたときは相手に償う、謝罪するなら罪責感はなくなります。しかし償えない罪を犯したり、謝罪する相手がいない場合はどうなるのでしょうか?

キリストが代わりに支払って下さった十字架を受け入れる以外に赦しはないのです。キリストが私たちの代わりに血を流して、私たちの罪の代価を支払われたのです。キリストに罪を告白し、キリストの身代わりの十字架を受け入れるとき、赦されるのです。

【互いに罪を言い表し】

互いに罪を言い表すことも大切です。そして癒しをもたらします。皆さん、エクレシア、すなわち教会はキリストの身体です。教会は目に見えるキリストの身体なのです。私たちは罪の赦しの宣言も出来るのです。

「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
:マタイ18章18から20節

これがエクレシア、教会の力です。教会はキリストの生ける身体であります。愛する、信頼できる兄弟の中で罪の告白をする、そして兄弟が心を1つにしてとりなし、キリストの御名によって赦しを宣言するなら、それは天においても赦されています!

一人だけで罪を告白しても、赦しを宣言する人がいません。信頼できるキリストの身体において、罪を互いに告白し、赦しを宣言するのです!互いに高め合い、互いに補い合って、ともにキリストの光の中を歩むのです。自分一人がキリストと光の中を歩むのではありません、キリストにある兄弟たちとです。

そして互いに罪を言い表すとき、癒しと、愛の一致が起こります。皆さん、偽善者や、本音を隠している者と誰が本当の人間関係を築けるでしょうか?弱さも、失敗も、罪も、ありのままの姿をさらけ出すとき、本当の関係は築けるのです。

イエス様はパリサイ人、律法学者を徹底的に責められました。なぜなら彼らが偽善者だったからです。心を隠す者と、神は一緒に歩けないのです!心を隠し、本音を隠す者と神は関係を築くことが出来ないのです。

皆さん!互いに罪を告白するとき、癒しが起こり、愛の人間関係が築き上げられます。しかし、互いに罪を隠すときはどうなるでしょうか?そこには傷と破滅が起こります。

ビューン先生が書かれた「幸いな人8月号」のコラムを読んでみて下さい。「マスク人間」と言うタイトルで、とても意味深い内容が書かれています。マスク人間とは今年、東南アジアで大流行したSARSのことを指しています。ヴェトナムのSARS問題はすぐに解決したのに、中国ではなぜ解決が遅れたのか?ヴェトナム政府はSARS患者が見つかったとき、すぐに公表してWHOの指示を仰いだのです。しかし中国政府は患者の数を少なく伝え、SARSを隠そう隠そうとした。その結果SARSは蔓延し、多くの人が犠牲者となってしまったのです。薬害エイズの問題も雪印乳業の事件も同じです。過ちを認めず隠そう隠そうとした。その結果、被害が広がり、多くの人が傷ついたのです。

皆さん!罪を隠し、暗闇を抱え込む人生はやがては滅びるのです。

「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」:箴言28章13節

ペリエという飲料水の会社は、製品に問題があることを指摘されたとき、進んで製品を回収し、問題を公表し謝罪したのです。その結果、ペリエは信頼できる会社であると企業イメージが上がり、売り上げが倍に伸びたそうです。

互いに罪を告白するとき、癒しを受けます。真の一致が起こり、関係が建て上げられます。互いに罪を告白するとき、そこにはキリストの確かな赦しが与えられます。光の中を歩み続けることが出来るのです!皆さん、互いに罪を告白しましょう。罪を隠して良いことは一つもありません!悔い改めること、告白して捨て去ることです!