「信仰と行い」
ヤコブ2章14節から26節

小 林 智 彦

「たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信仰は、死んでいるのです。」:ヤコブ2章26節

皆さん!行いのない信仰は死んでいます。

この様に言われて皆さんはどのように思われるでしょうか?

教会に初めて来られた方は「クリスチャンになったら修行したり、良い行いを しなくてはならないのか?大変な宗教だ!」と思われるのではないでしょうか ?

それは大きな誤解です!イエス・キリストを正しく信じたなら、良い行いをし ないではいられない。キリストを信じて、今までと同じ人生を歩むほど困難な ことはないのです。

イエス・キリストを信じることは私たちの人生を根底から変えます! 私たちの行動だけではなく、考え方、話し方、すべてが変わっていきます。 それは私たちの努力や頑張りではなく、いのちに押し出されて変わっていくの です。

パウロはこの様にキリストを信じる者の変化を現しています。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古い ものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」:第二コリント5章 17節

キリストとの出会いは、私たちをまったく新しい者へと作りかえる力があるの です!

だからキリスト教は良い行いをしなければならない、疲れる宗教だと思わない で下さい。良い行い、すなわち愛を行わないではいられなくなるのです! 愛を行う力も、動機もすべてキリストから溢れるばかりに与えられるのです。 良い行いに生きることが普通になる、愛を行う生き方が喜びなる! これがキリストに出会うことによって私たちに与えられる変化です。新しい創 造です。

だからヤコブは変化が見られない信仰者に向かって語ったのです。 「行ないのない信仰は、死んでいる」と。それは普通は考えられないのです。 何かが狂っている、健全でない、いのちの源から離れているのではないか?

クリスチャン・ライフを電球に例えたことがありました。 私たちは電球で、電球は自分で努力して輝く必要はない。ただ電源につながる だけで良い。 電源につながるなら電気が流れ、電球は何もしなくても輝き出すのです。 これがクリスチャン・ライフなのです!難しいことは何もない。 ただ愛といのちの源である、イエス・キリストに結び合うなら愛が輝き出すの です。

ヤコブが語っている人々は、自分ではクリスチャンだと言いつつも光を放って いない。 何かがおかしい、イエス・キリストとの行ける交わりがあるのだろうか? 人生の優先順位が狂って、活けるキリストとの交わりが断たれているのではな いかと心配しているのです。

【キリストの十字架を日々体験する】

私たちがキリストととの活ける交わりを保つために必要な三つのことがありま す。 第一はキリストの十字架を日々体験することです。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているので はなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生 きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる 信仰によっているのです。」
:ガラテヤ2章20節

皆さん!十字架こそ、キリストと私たちをつなぐ接点なのです! 十字架以外にキリストと私たちを結び合わせるものはないのです!

キリストが私たちを生かすために十字架で死なれたように、私たちが自分自身 を信仰によってキリストの十字架につけて殺すなら、キリストが私たちの中に 生きるのです! キリストの十字架に自分自身をつける時、キリストのいのちが私たちの中に流 れるのです。

キリストの十字架と復活は私たちに一体何をもたらすのでしょうか?

まず第一にキリストの十字架は、私たちの犯した罪の為であり、キリストが私 たちの代わりに私たちの罪の罰を受けて下さったのです。 キリストの十字架は、それを信じるものに完全な赦しを与えるのです!

第二にキリストの死は、私たちの身代わりの死です。しかしキリストは復活に より死を滅ぼして下さったのです。キリストの十字架と復活は私たちに永遠の いのちを与えます。

第三に解放!です。罪の呪いから、病から、悪しき霊どもからの解放です。 第四に神の子供としての身分が与えられました!まだまだ沢山の恵みが与えら れました。

これがキリストの十字架と復活が私たちに与えたものなのです。 これがキリストにある新しい姿なのです!キリストにあるアイデンティティー です。

アイデンティティーは大切です。自分が自分を何と思うか?によって行動は変 わります。 自分は子供の時から何をやってもダメだ!そう思っている人はその様に行動し ます。 しかし私たちは古いアイデンティティーもともに十字架につけたのです!

私達はキリストにある神の子供としてのアイデンティティーに生きなくてはな りません。自分が神の子供であると本当に分かったら、それに相応しく生きる はずです。 私たちはキリストにあって圧倒的な勝利者です!恐れや心配は無用なのです。 自分がキリストにあってどの様なものか?キリストの十字架と復活は自分に何 をもたらしたのかを明確に知ることが、自分を変え、キリストの力を受ける為 に必要なことです。

キリストの十字架と復活に私たちが結び合わされているなら、必ず行いが伴い ます。

【聖霊様の満たしを受け続ける】

行いの伴う、生きた信仰を持つために必要な第二は聖霊様の満たしを受け続け ることです。

初代教会は聖霊様の満たしから始まり、聖霊様の満たしを受けることで成長 し、神の国を拡大していきました。聖霊様の満たしなしに、クリスチャンはな の良い行いも出来ません

聖霊様は私たちクリスチャンがイエス様に似たものに成長するように、あらゆ る助けと導きを与えて下さる神様です! 聖霊様にいつも頼って下さい。求め て下さい。 聖霊様は霊的な必要一切を私たちにお与えになるお方です。 私たちは「行いのない信仰は、死んでいる」と言われると直ぐに何かをしなけ ればと思います。何かこのみ言葉で心責められない程度に良い行いをしようと 考えます。 しかし、自分を守ること、自分中心の動機からは本当に愛の行いは生まれない のです!

聖霊様に聞かなくてはならないのです。聖霊様に、今の状況で、神様が行って 欲しいことは何かを聞くことです。信仰は聞くことから始まるのです。神様が 中心だからです。

聖霊様に聞き、聖霊様に導かれないなら、何をやっても空回りするだけです。 自分では何か良いことを行っているようでも、神様からの目からは違う場合が あるのです。 聖霊様の満たしと導きを求めましょう。聖霊様に満たされるとき、行いが生み 出されます!

【大宣教命令に生きる】

大宣教命令とは福音書の中でイエス様が最後に弟子達に命じた命令です。 この命令の中心は、イエス様の弟子を造ること、福音を宣べ伝えることです。

イエス様が最後に命じた命令です。それはイエス様が最も大切にしたことなの です。 大宣教命令を行うことを願わないで、神の御心を行うことが出来るでしょうか ?

大宣教命令を人生の中の第一の優先順位にしなくてはなりません! 大宣教命令を忘れ、自分勝手な行いを神の御心と取り違えるとき、教会は衰退 します。 神学的な論争が第一になったり、異教徒を武力で攻めることが第一になってい たとき、教会は衰退し、堕落していったのです。 福音を宣べ伝える教会、弟子作りを積極的に行う教会とクリスチャンは成長し ます! なぜなら神様が一番して欲しいことを行っているからです。

イエス様の弟子をたくさん生み出していきましょう。 そのために必要なことは、まず自分がイエス様の忠実な弟子になることです。 弟子です!生徒ではないのです。弟子は師匠の生き方から教えを受けるので す。 弟子を造るとき、もちろんイエス様の弟子を造るのですが、私たちの生き方が 大切です。

私たちがイエス様の弟子として模範的な生き方でないなら健全な弟子は出来ま せん! 神を愛し、神の家族を愛し、自分の働きを忠実に行う!これが模範的な弟子の 生き方です。

そして福音を宣べ伝える。それにはまず自分が福音を体験することであり、福 音の価値を自分が生きること、その生き方で福音を証することが何よりも大切 なのです。

大宣教命令を行うことを心から願い、生きるなら、実を結ばないクリスチャン になることはありません。キリストの心からの願いに結び合わされているから です。

【最後に!】

「たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行ないのない信 仰は、死んでいるのです。」:ヤコブ2章26節

最後に皆さんもう一度言います。このみ言葉はクリスチャンらしい行い、宗教 的な偽善な行いの勧めではないことを覚えて下さい。 キリストと結び会わされ、キリストが私たちの内に生き、キリストの心と結び 合わされているなら、私たちは自然に神の喜ばれる愛の行いをせずにはいられ なくなるのです!

また、このみ言葉を自分ではなく、周りのクリスチャンを裁くために用いても なりません。

自分とキリストの関係は大丈夫か?キリストと自分はしっかり結び合わされて いるかを聖霊様とともに吟味して下さい。