「絶えず主を叫び求める」
士師記3章1節から11節
【主は戦いの中で私たちを訓練される】
小 林 智 彦

「カナンでの戦いを少しも知らないすべてのイスラエルを試みるために、主が残しておかれた国民は次のとおり。――これはただイスラエルの次の世代の者、これまで戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためである。――」士師記3章1.2節

私たちはイエス・キリストを救い主と信じ、救われた後も問題が解決しない時があります。神は全能の神、死をも打ち破られた神なのに、何故この問題に解決を与えないのか?

私たちは問題に直面するとき、神の私たちに対する愛を疑ったりします。
自分の信仰が足りないのか?神は本当におられるのか?不信仰に陥るときもあります。

しかし、皆さん、神がある問題を解決されず、残されるのは私たちの為なのです!

私たちは救われてすぐに天国に行けるならどんなに楽であろうかと考えます。
しかしイスラエルもエジプトを脱出した後、すぐにカナンの地には着けませんでした。
荒野での試み、カナンでの戦いを経て、ようやくダビデの時代にカナンの地を得たのです。

荒野での試み、カナンでの戦い、それらは全てイスラエルの成長に必要だったのです!
神が私たちに、ある問題を残されるのも、私たちの成長に必要不可欠だからなのです!

皆さんが直面している問題は何ですか? それぞれの課題があると思います。
家庭の問題かもしれません。職場における問題、健康の問題、様々な問題があるでしょう。

神は決して意地悪をして、その問題を取り去らないのではありません。
皆さんを、その問題を通して訓練し、成長させようと願っているのです。

皆さん、神は皆さんが真の神を知られることを願っています。
神を知ること、それは神を愛することだからです。
どうしたら神を、その愛を知ることが出来るでしょうか?神学校で学ぶことですか?
神の愛について書いてある、信仰の書物を沢山読むことですか?セミナーですか?
それらも確かに、神の愛を知ることが出来るでしょう? 

しかし、神がご自身の愛を知らせるための最善の手段として選ばれたのは戦いなのです。戦いの中で神の約束の確かさを、戦いの中で神の愛を体験的に教えようとされたのです。

私たちは体験しなければ、本当に知ることは出来ません!
神は、皆さんの信仰が本物になるために、それぞれの人生に課題を与えられています。
皆さんが信仰を持って、その問題、課題に取り組むなら、その問題の中に神を体験します。

皆さんの問題には必ず、解決があります!信仰を持って取り組みましょう!

【主は私たちを試みられる】

「これは、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。」(4節)

神がイスラエルの民に問題を残されたのは、みことばに従うかどうか試すためでした。
神様は私たちに、みことばを学ばさせるために試練を用いることがあります。

神は赦しを学ばさせるため、赦しにくい人を職場や家庭、学校に置かれるかもしれません。
赦せない!とみことばに逆らっているときは、心に平安はありませんね。
しかし、主のみことばに従って赦しと祝福を祈るとき、問題は問題ではなくなります。
主のみことばに従うとき、問題は祝福に変わるのです!

試練は私たちの信仰を純粋にします。聖書では金や銀を精錬する譬えで語られています。金や銀の純度を高めるには、まず炉で溶かします。そうすると不純物が浮かび上がります。

私たちは問題や試練がないとき、神様を喜ぶことは簡単です。
しかし試練の時、変わらず神様を褒め讃えることが出来るなら、その信仰は純粋です。
しかし、そこに達するまで試練が必要なのです。
試練の時、賛美ではなく不平や呪いの思いが出て来る。 しかしそれは祝福です。
不平や不満、呪いの思いに気づいたら、それを捨て去り、みことばに従うのです。
このことを通して、私たちは自分の信仰をきよめ、純粋にすることが出来るのです。

【イスラエルが異民族を追い払わなかった原因】

「イスラエル人は、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の間に住んで、彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘を彼らの息子たちに与え、彼らの神々に仕えた。こうして、イスラエル人は、主の目の前に悪を行ない、彼らの神、主を忘れて、バアルやアシェラに仕えた。」(5から7節)

ヨシュアがカナンに入ってからソロモンがエルサレムに神殿を建てるまで400年かかりました。何と!長い年月がかかったのでしょう。その間、異民族との戦いの連続です。
しかし、この原因を造ったのはイスラエルにあったのです。
イスラエルはもっともっと早い段階でカナンの地を占領することが出来たのです。
しかしイスラエルはそうしなかったのです。異民族を残しておいた方が得と思ったのです。

異民族を追い出したり、殺さないで残しておけば、イスラエルにとっては労働力を得ることになります。彼らを奴隷として利用するためでした。
また、戦いで異民族を追い出す場合、もちろんイスラエルの中にも死傷者が出ます。
それよりも、結婚を通して異民族とともに暮らすほうが楽と彼らは考えたのです。
イスラエルは神のみことばに従わないで、自分の知恵と欲に従ったのです。

しかし、自分の領土内に残しておいた異民族から偶像礼拝、また姦淫や不品行の罪がイスラエルの中に広がっていったのです。これらの歴史は私たちに何を教えるのでしょうか?

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」:第二コリント5章17節

私たちはキリストの十字架の死と復活にともに与って新しくされたのものです!
私たちは御国の新しい価値観、光の子として相応しく生きるべきです。
しかし、私たちの中にはイスラエルのようにこの世の価値観を、この世の文化を愛し、従う心はないでしょうか?
神の愛と赦し、祝福と解放は受けながら、生き方はまるで世の人と同じ生き方はしていないでしょうか?

私たちがキリストにあって新しくされても、なお、世のものを愛し続け、それを保ち続けるのなら、罪と束縛を受け続けることになります。

イエス様も悪霊が出て行っても、御国の価値観と聖霊様で心が満たされていないのなら、悪霊は更に悪い七つの霊を連れてきて住み、前よりもっと悪い状態になると教えています。

私たちは徹底して悔い改めましょう!神の国に相応しくない一切を捨て去りましょう!

【人は播いた物を刈り取ることになる】

「それで、主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをアラム・ナハライムの王クシャン・リシュアタイムの手に売り渡された。こうして、イスラエル人は、八年の間、クシャン・リシュアタイムに仕えた。」(8節)

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。」ガラテヤ6:7.8

私たちはパウロが肉と呼ぶこの世の価値観ではなく、神の国のために生きましょう!
そこには永遠の命、愛と喜び、平安が豊かに与えられるのです。

【呼び求めるとき、助けを与えて下さる】

「イスラエル人が主に叫び求めたとき、主はイスラエル人のために、彼らを救うひとりの救助者、カレブの弟ケナズの子オテニエルを起こされた。主の霊が彼の上にあった。彼はイスラエルをさばき、戦いに出て行った。主はアラムの王クシャン・リシュアタイムを彼の手に渡された。それで彼の勢力はクシャン・リシュアタイムを押えた。こうして、この国は四十年の間、穏やかであった。」(9から11節)

神様の私たちに対する愛は決して変わることはありません!神の恵みは変わりません。
神のことばに対し従わなかったイスラエルが主を叫び求めたとき、主は救いを与えました。主はご自身を叫び求めるものには必ず助けと救いを与える方です!

私たちはイスラエルのように、困った時だけ主を叫び求めるのでなく、いつでも主を叫び求めましょう!
私たちには助け主なる聖霊様が与えられています。絶えず聖霊様の助けを求めましょう。

主は求めない者には決して助けを無理に与えるようなお節介好きではありません。
助けが必要ない!と思う者には助けを与えません。
しかし、自ら謙り、主を呼び求める者には惜しむことなく助けを与える方です!
主を呼び求めましょう!問題を祝福に変える力をいただくために!
主を呼び求めましょう!キリストに似た愛の人に、内面から変わる力を得るために!