「霊的スランプからの脱出」
黙示録3章14節から22節
【ヨハネの黙示録】
小 林 智 彦

ハレルヤ!主の御名を賛美します。本日は黙示録からみことばを学びましょう。
黙示録は読みづらい箇所かもしれませんが、私たちに大きな教訓を与える箇所です。
黙示録はハッキリとクリスチャンが置かれている立場、これから直面することを教えます。
一言で言うならば、クリスチャンは「世の終わり」に置かれているのです。
黙示録は苦難と迫害、この世が滅び、裁きを受けることをハッキリと教えています。

日本でクリスチャン生活を送っていると、これら黙示録の内容にギャップを感じます。
日本のクリスチャンには迫害がありません。国はお金持ちで、生活も豊かです。
黙示録の世界がとても遠く思えます。しかし私たちは確かに「終末」に生きているのです。

もちろん私は皆さんに不安を煽ろうとしているのではありません。
また迫害や困難を進んで受けなさいと言っているのでもありません。
ただ!自分が今どこにいるのか、何処から来て、これから何処に向かうのか!
それを知って欲しいのです。

平和で経済的にも豊か、この恵まれた状況も霊的な目を覚ましていなければ、クリスチャンには益をもたらしません!
霊的な目が閉じると、この時代を見分けることが出来なくなり、自分の使命も忘れます。この世が既に神の国のように誤解し、この世に永遠に住もうと考えてしまいます。
キリストの神の国の価値観に生きることを忘れ、この世の価値観に生きるようになります。

クリスチャンが世の価値観に流されて生きる時、輝きを失い始めます。
霊的な命の輝きが失われ、自分の使命を見失います。霊的なスランプに陥るのです!
皆さんは霊的なスランプに陥ってはいませんか?
黙示録にまさに霊的スランプに陥った教会の姿が書かれています。ラオデキヤの教会です。
本日はこのラオデキヤの教会から、霊的なスランプから抜け出る方法を学びましょう!

【ラオデキヤの教会の状態】
「また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。」:黙示録3章14節から16節

これがラオデキヤ教会の状態でした。「熱くもなく、冷たくもない」生ぬるい状態。
イエス様も「わたしの口からあなたを吐き出そう」と言われています。
イエス様が喜んでおられないことを現しています。 霊的なスランプ状態です。
形はクリスチャン、何とか信仰生活を送ってる。しかし心は世の中のことでいっぱい。
心は生ける真の神から離れてしまっている状態です。
心に神がおられないなら、その信仰は生きている信仰ではなく、何の良い実も結べません!

【霊的スランプの原因】

最初は熱かったラオデキヤ教会を生ぬるくさせ、霊的な命を奪った原因は何でしょうか?

「あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」:17節

ラオデキヤの教会から熱心さを奪い、生ぬるくさせた原因は豊かさです、富です。
しかし、この富はキリストにある富、キリストにある豊かさではありません。
この世の価値観に基づく富であり、豊かさなのです。

ここで注意しなければならないことがあります。
それはキリストの教えは決して禁欲主義ではない!と言うことです。
富や豊かさを決して否定はしません。いや、それを豊かにもたらすものなのです。
富には二種類あるのです。この世の富と、キリストにある富です。

ラオデキヤの教会はキリストにある富を見失い、この世の富で自分を満たしたのです。
それゆえ彼らは霊的な命の輝きを失い、霊的なスランプ状態に陥ったのです。

この世の富とは一体なんでしょうか?キリストにある富とどの様に違うのでしょうか?

①この世の富は、心を惨めにさせ、哀れにさせ、貧しくさせる。

教育テレビに「しゃべり場」と言う中学生のディスカッションをする番組があります。
お金に関して、中学生がそれぞれの意見を語り合っていました。
ある男の子は、人生の中でお金が一番大切!お金があれば何でも出来ると言い張っていました。他の中学生もお金よりも大切なものがあるとハッキリ主張した人はいませんでした。

わたしはそれを見てとても残念に思いました。
その子供たちを取り巻く大人たちの考えを代弁しているんだろうと思いました。
お金よりも大切なものがある!そのような価値観に生きている大人を見たことがない。
だから子供たちも正直にお金が一番、お金で買えないものは無いと信じているのでしょう。
皆さんはどうですか?お金が一番ですか?お金があれば何でも出来ると思ってますか?

私はお金があれば何でも出来る!この心の態度ほど貧しい心は無いと思います。
心の豊かさとは、お金や力では得ることの出来ないものをどれだけ知っているか、またそれを得ているか?であります。そして、それこそがキリストにある富なのです。

キリストが与える永遠のいのち、無条件の愛、それは決してお金では買えないものです。

②この世の富は私たちを盲目にする。

皆さん、この世の富がどんなに素晴らしくても、それは必ずは滅びるものです。
ヨブが言っています。「私たちは裸で生まれてきたのだから、裸で天に帰ろう。」
どんなに素晴らしい宝も財産でも、少しも天に持っていくことは出来ないのです。
やがては朽ちて行くこの世の富をなぜキリストの富みに勝ると考えられるのでしょうか?

そこがサタン、悪魔の惑わしの力です。この世が永遠に続くこと、人間は死なないと信じさせる惑わしの力があるのです。
人間が死ぬことは幼稚園の子供でも知っています。しかし自分が死ぬことを意識して、誰も生きてはいません。自分が死ぬことを本当に考えたら、誰でも真の神を求めます。

しかし、サタンの惑わしの毒がクリスチャンの目にも入るなら、永遠の世界が見えなくなるのです。ラオデキヤのクリスチャンは豊かな生活があまりにも続くので、いつの間にかサタンの惑わしの毒が目に入り、この世の世界しか見えなくなってしまったのです。

皆さんは確かに、キリストの永遠の国を見ていますか?この世は必ず滅び、裁きにあうことを信仰の目を通してみていますか?
③この世の富は私たちを裸にする。
ヨハネはラオデキヤのクリスチャンが裸の者であると言っています。どういう意味でしょうか?私は彼らが、心高ぶって罪を肯定する生き方を送っていたと思います。
古い生き方、肉にある生き方を肯定して、悔い改めない生き方です。
「裸の王様」の話があるように、罪と高ぶりは愚かな行動を肯定させます。

ラオデキヤのクリスチャンは完全にこの世の価値観に流されていきました。
皆さん思い当たることはありませんか?霊的スランプから抜け出る方法を学びましょう!

【霊的スランプの脱出法】

「わたしはあなたに忠告する。」(18節)

スランプを脱出するためにはコーチの言うことを良く聞かなくてはなりません。
イエス様は私たちの信仰を正しく導く、素晴らしいコーチですね。
イエス様のアドバイスを良く聞いて霊的なスランプを脱出しましょう。

①豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。(18節)

私たちを本当に豊かにする富は、イエス・キリストにあります。
それは火で精錬された金であります!いったい火で精錬された金とは何でしょうか?
火で精錬されたとは、純度が高い、また何度も試されて本物であると認められたとの意味が含まれています。朽ちることがない、永遠になくなることのない本当の宝です。
どうしたら私たちは永遠の宝、天に持って行ける宝を得ることが出来るでしょうか?

「持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」
:ルカ12章33.34節
持ち物を売って、人々に施すこと!それがイエス様から金を買い、天に蓄えることです。愛します!言葉で言うのと、それが行動になって現れるまでには開きがあります。
自分のために蓄えるのがこの世の富です。キリストの愛を現すために用いるのが朽ちないキリストの富なのです!
霊的なスランプを脱出する為に、施すことを勧めます。それは皆さんの信仰が本当に実を結び、熱く熱くなるためです!
皆さん!人に施してください。お金だけではありません。あなたの時間を、才能を、愛を必要としている人に、捧げてください。イエスの御名によって捧げるのです。
イエスにあって積極的に捧げる人生を歩む時、あなたの信仰は熱さを取り戻します!

②また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。(18節)

ラオデキヤの特産物は目薬だったそうです。ヨハネもジョークが好きですね。
サタンの惑わしと、この世の価値観を視界から一掃するには、キリストにある価値観を教える、真理のみことばしかありません。そして絶えず祈ることです!

キリストのみことばこそ、偽りを見抜く基準です。みことばを心に蓄えましょう。
また、惑わしに負けないために、絶えず祈ることです。
みことばと祈りが私たちの目を開かせます。自分が何処にいるのか?何処に進もうとしているのか?ハッキリと見えるようになり、霊的なスランプから抜け出せます!

③また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。

白い衣はいったいなんでしょうか?白い衣は悔い改めた心とそれに相応しい行いです。
心からの悔い改めは、必ずそれに相応しい行いが伴います。
悔い改めたつもりでは霊的なスランプはいつまでたっても抜けられません。
心から悔い改め、それに伴う白い衣、正しい行いが伴う時、スランプから抜け出るのです。

「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(19節) 皆さん!熱心になって悔い改めましょう。

【キリストに心の王座を明け渡す!】

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(20節)

クリスチャンならば、イエス様は私たちの心の王座に着いておられるべきです。
しかし、そのイエス様が心から閉め出されてしまっている!何と悲しいことでしょうか?
ラオデキヤのクリスチャンは世の富を心の王座に座らせて、救い主イエス様を心から追い出してしまったのです。これが霊的なスランプ状態です。

皆さんの心の王座にイエス様は着いておられますか?それとも自分のエゴ、欲望、この世の価値観が王座を閉めていますか?
イエス様に心の王座を明け渡しましょう!イエス様こそ私たちの真の王です!