「恵みによって強くなる」
聖書箇所:第二テモテ2章1節
小 林 智 彦

「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」

【第二テモテの背景】

ハレルヤ!主の御名を賛美します。本日は第二テモテからみことばを分かち合いましょう。
第二テモテはパウロが書いた最後の手紙となります。ローマの獄中で書かれました。
パウロは自分の死が避けられないこと、ネロの大迫害が教会を襲うことを知っていました。
パウロは最後に自分の愛する弟子テモテに、迫害の中でも信仰を貫くよう励ましたのです。

やがて来る大迫害を前にして、パウロは愛するテモテを次のように励ましています。

「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」2章1節

パウロは「キリスト・イエスにある恵み」によって強くなれ!と励ましているのです。

皆さん!パウロの超人的な強さは何処から来るのでしょうか?
福音のために全てを捨てて走り続けたパウロ。何度も迫害と拷問に会い、耐えたパウロ。
長い獄中生活にあっても喜びと感謝、賛美と祈りを書かさなかったパウロ。
神の栄光を求め、ひたすら隣人の為に尽くしたパウロの強さは何処から来るのでしょうか。

パウロは超人的な強さがあった。しかしその強さは決して人を圧迫するものではなかった。
なぜならパウロの強さは「キリスト・イエスにある恵み」による強さだからです!

私たちも人間的な強さではなく、「キリスト・イエスにある恵み」を知る強さを求めましょう。パウロのように恵みによって強くされましょう。

【恵みとは何か】

それでは恵みとは一体なんでしょうか? 
「キリスト・イエスにある恵み」とは一体なんでしょうか?
「キリスト・イエスにある恵み」を知ることこそ、尽きることのない力を与えます。

恵みとは「受けるに値しない者が、何の働きがないにもかかわらず、一方的に与えられるもの」であります。これが恵みです!

具体的にはどのようなものでしょうか?ローマ5章8.9節はまさに恵みを表しています。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」:ローマ5章8.9節

これが恵みです!

皆さん!皆さんは神から愛されています!これは聖書が一貫して主張していることです。
しかし皆さんはなぜ、神から愛されたのですか? 何か良いことをしたからですか?
神は私たちが何か良いことをしたから救われたのではありません。
いや!「罪人であった時、キリストは私たちのために死んでくださった」のです!
罪人であった時です。これは間違って、うっかり罪を犯したのではなく、まさに神に敵対して生きていた時を指しています。
何の良い働きどころか、神に敵対する者、受けるに決して値しない者に、神は御子イエスを与えられたのです!これが恵みなのです。

このキリスト・イエスにある恵みを私たちが理解する時、私たちは強められるのです。

私たちは実際、クリスチャン・ライフを送ってみると、自分の弱さが良く分かります。
光である主とともに歩めば歩むほど、私たちは自分の罪が見えてきます。
自分の罪を自覚することは恐ろしいことです。罪責感がそれに伴って私たちを苦しめます。
罪責感にサタンはつけ込んできます。

私たちは自分が神に愛されていない! 自分には愛される資格がない!
サタンの嘘を信じてしまいます。 

罪責感に縛られ、神の愛を疑っているクリスチャンほど弱く、輝きのない者はありません。
「キリスト・イエスにある恵み」を忘れるなら、クリスチャンは力を失います。
キリスト・イエスにある恵みを思い出してください!
キリストは何時あなたを愛されたのですか?あなたが良い働きをした時ですか?
あなたが罪を犯さなくなったからあなたは愛されたのですか?

あなたがまだ「罪人であった時」です!あなたが神に逆らっていた時です。
そのとき神はすでに皆さんを完全な愛を持って愛し、御子にあって赦そうとされたのです。
あなたが罪人であった時に、すでに愛されているのなら、あなたが神と和解した今は、更に神の愛が私たちに注がれているのではないでしょうか?

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」:ローマ5章8.9節

キリスト・イエスにある恵みを知ってください!この恵みに堅く立ち続けてください。
主は皆さんを心から愛しています。神の愛から私たちを引き離すものは何もありません!

【恵みは教会を強くする】

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」:エペソ2章8.9節

私たちが救われたのは、恵みのゆえです!恵みは私たちに謙遜な心を与えます。
私たちには、何の、救われるに値する行いが無いにもかかわらず救われたからです。

この恵みを見失うと、私たちの心に高ぶり、誇りが出てきます。
私たち人間は皆、自分の力、自分を誇りたい性質があります。これは罪の性質です。
宗教はこの自分の誇りを保って神と和解させようとする手段です。

教会が、クリスチャンが恵みを見失うと宗教的になります。
教会の中に、クリスチャン同士の間に競争や自慢が忍び込んできます。
自分を誇るところから争いや憎しみ、怒り、分裂は生まれます。

私たちは恵みによって救われました。神のエクレシア(教会)も恵みによってのみ建て上げられるのです。 神の民が恵みを見失うと、エクレシアも弱りまります。力を失います。

「キリスト・イエスにある恵み」に堅く立ちましょう!
私たちが互いに恵みに留まるなら、私たちの間に人間的な誇り、高ぶりは除かれます。

神の恵みを疎かにして、自分の能力、力を誇るところには真の一致は生まれません。
恵みだけが私たちの間にあるプライドの壁を乗り越え、教会に一致と成長をもたらします。

皆さん!「キリスト・イエスにある恵み」によって強められましょう!
私たち一人一人が主の恵みによって強められる時、教会に一致と成長が生まれます。

【弱さを誇れる恵み】

「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」:第二コリント12章9.10節

皆さんは、人生の中で生ける真の神を体験したいですか?
神様を体験したい、神とともに歩みたいと願いつつ、多くの人は神様が働かれる場所を神様に提供していないのではないでしょうか?
神様は何処で働かれるとパウロは言ってますか?その力は何処に現されますか?

私たちの弱いところですね! 自分にとってはマイナスと思えるところです。
自分にとって不可能に思える分野!自分では出来ないと諦めた所に主は力を現します!

多くのクリスチャンが自分の物差しでクリスチャン・ライフを測っています。
自分の限界を超えるところは、失敗したくないので決して超えようとしません。
結局は自分の力で全てを行っているのです。恵みではありません。
神は自分の力の及ばないところに、その力を現してくださるのです。

パウロには目の病があったと言われています。それはとてもひどかったようです。
彼は多くの人々の病を癒しました。自分の目についても祈りましたが癒されなかったのです。学者が目が悪かったらどうやって本を読み書きできるでしょう。大変なハンディです。

しかしパウロは目の病のために福音宣教を諦めたりはしませんでした。
主の恵みは私にとって十分である!必ず目の弱さを主が補ってくださる。
必ず主が助けを与えてくださる! 彼は毎日、自分の弱さの故に主により頼んだでしょう。そして、主は毎日、彼の目の病、その弱さを乗り越える助けを送られたのです。

彼は目の問題を通して、弱さを覆い尽くすキリストの恵みと力を体験したのです。
彼は迫害の苦難も逃げませんでした。必ず迫害を通して現される恵みと力を知っていたからです。 彼は投獄される時も主を期待しました。 あらゆる私たちの弱さに主は十分な恵みを持って答えてくださるからです。
 
皆さん!「キリスト・イエスにある恵み」によって強くなりましょう!
キリスト・イエスの恵みはあらゆる状況にあって、私たちを強めることが出来るのです。